心とうまくつきあう

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真我探求とは、本当の自分に気づくってこと。本当の自分と探すこと
本当の私は心でも身体でもないってことに気づくこと、らしい。
南インドの今はもう亡くなってしまったけどラマナ・マハリシという崇高な聖者さんがいました。
彼の教えなんだけど、要するにね、心がなんか思うでしょ。悲しいとか楽しいとか
辛いとか痛いとか。でもそれは一瞬の感情であるわけじゃない。一時で流れてしまうものは
あなたではない、それは身体も同じことで、永遠に続かないこの身体はあなたではない、らしい。

じゃあ何が私なの?って言うと、そこから真我探求がはじまる。「私は在る」という根源的な
感覚、それが真我なんだって。私は在るって感覚、わかる?
ちょっと言葉だけ聞くと難しい感じがするんだけど、すごくシンプルな感覚。
起きた瞬間って、まだ何の感情も沸き上がってなくて、私が誰々で職業なになにでってことも
忘れてるじゃない、空っぽなんだけど、でも存在してる感覚じゃない起きたての時って。
それが、私なんだってー。なんかあっけない感じがするけど。悟るとはそうゆう状態に
常にいること、らしい。う~ん、難しいようで簡単のようで、難しい。

で、心は一過性のものだから、過ぎ去るのを待つ。心が乱れて嵐みたいになってても大丈夫、
待ってればそのうち終わる。感情を押し殺すんじゃなくってね、過ぎ去るのを待つ。
大切なのは、感情が私じゃないんだって理解すること。だって大変だもんね、感情は
ころころ変わるし、死んじゃえばもうそれで私は完全に終わり、なんてそんなの怖い。
死んでも、私は「在る」、らしい。

グルジは言う、できる限り常に、この「在る」感覚に集中していなさいって。
そうすると、心の主導権が弱まってくるんだって。これは、経験上、そうと言える。
あんまり大暴れしなくなってくる、のは確か。

グルジは心と真我の関係を大雨の中の教習官と生徒のドライブに例えている。
雨の中、車のワイパーが右左右左ってなっててこれが、心。
運転するあなたは、ワイパーに注目しないで前を見てる、ワイパー見てたら事故るし。

運転手「でも、ワイパー(心)が気になります!右、左、右、左」
教習官「違う違う!あなたはワイパー(心)でなくて、道路(真我)を見るの!」
運転手「で、でも、ワイパーがぁぁぁ。。!あぶなーーぃ!」
教習官「道路(真我)、道路に集中して!」

ってな具合に。なるほどね。

心が悪いっていってるんじゃないよ。心は、私を成長させてくれる大切なツールだとおもう。 
日常の生活で、思ったこととかに注意深く耳を傾けるよ。次第に、暴走系マインドか
生きる指針系マインドか、見分けがついてくる。生きる指針系マインドはちょーありがたい!
心が心を解放してくれる 楽にしてくれる 私という人を知る、手助けをしてくれるんだなー
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by yellowtara | 2010-07-22 21:21 | 思ったこと